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先輩に聞く障害福祉サービス運営#01–社会福祉法人若竹会 権田五雄さん(1)

Interview 「先輩に聞く障害福祉サービス運営」 by かわきせ日記帳 のトップバナー

こんにちは、かわきせ日記帳の木村です。
以前告知したインタビュー企画がいよいよスタートします。タイトルは「先輩に聞く障害福祉サービス運営」です。

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記念すべき第1回目は、社会福祉法人若竹会の理事長、権田五雄さん。若竹会は、滋賀県草津市を中心に「障害を持つ利用者が地域の中で潤いのある生活が送れるよう「働く」と「生活する」ことをめざし、作業所やグループホーム、ヘルパーサービスや就労継続支援B型施設などさまざまな施設を運営しています。また全国でも珍しい支援高等学校卒業後に自立訓練と就労・生活訓練を一貫して学べる「若竹福祉総合学院」を立ち上げるなど、新たな障害福祉施設の形にも意欲的に取り組んでいます。

■経験のはじまりは民間の子育てサロンの立ち上げ

社会福祉法人若竹会の理事長、権田五雄さん
社会福祉法人若竹会理事長 権田五雄さん
若竹会のほか、保育園・こども園や高齢者介護施設を保有する社会福祉法人ご縁会、環境整備やリサイクル業を行う大五産業グループを経営。「『損得』よりも『善悪』を最優先する」を理念として企業経営や福祉活動を行う。

元々、障害福祉とは無縁の職種にいた権田さん。商工会議所に所属していた時に、子育てに悩み「保育所をつくってほしい」と駆け込んできたお母さんと関わったことで人生が少しずつ変化していきました。

時は1970年代。高度経済成長期で団地が増え、核家族化が始まり、母から娘へと教えられながら、手伝ってもらいながら行っていた子育ての形が急激に変わってきた頃でした。教えてもらう人もいなければ教科書もない。健常者の子どもさんはもちろん、障害を持った子どもさんを一人で育てなければならないお母さんたちの不安は、どれだけのものだったことでしょう。

権田 狭いマンションに一人で子育てするのが苦しい。引っ越ししてきたばかりで繋がりもないし、相談もできないので支援をお願いできませんか、と泣きながら訴えられるのです。そんなに大変ならばということで、最初は民間の子育てサロンを始めたのです。

5〜6組も集まれば……という予想は大きくはずれ、サロンには子連れのお母さんが30組以上も集まりました。困っている人の想像以上の多さに驚き、規模を徐々に拡大しながら企画や運営に携わってきました。2年ほど経った頃に母親会に運営を譲って離れた途端、次は母親会から「保育園に入れない」との相談が持ち込まれました。市役所に原因を聞きに行き、待機児童問題が頻発していること、既存の法人が運営する保育園では数が足りないこと、そしてその解消のためには、保育園を立ち上げられるような新規の法人がもっと必要であることを知ります。本格的に調査や準備を始め、草津市内で100人弱の子どもたちを預かる保育園の運営が始まりました。

権田 その運営をする中で気づいたことがあってね。100人子どもがいると1~2人はなにかしら障害を持っているのではないかと感じる子どもがいらっしゃいます。その子たちがなかなか他の子たちとうまく遊べないのです。親御さんも親御さんで、健常者の子を持つ親御さんたちの輪に入れていないようでした。彼らが孤立するような状況はよくないと思い、園長に「障害を持つ子をできるだけ多く、支援させていただきましょう」と伝えました。これには行政の担当者も驚いていましたけどね。でも、子どもが5人いればお母さんも5人います。そこでお母さん同士がお互いにいろんな話ができるサークルをつくるように薦めました。このサークルは、障害のある子を持つお母さんたちが集まる「ポレポレの会」として現在も続いています。

■若竹会を「他人のために動き、大勢の人が幸せになる」施設へと変化させる

保育園の運営を通じて障害のある子どもと親御さんが持つ問題を知り、権田さん自身にもこれは解決すべき社会課題であるとの意識が生まれて来たといいます。仕事を通じて施設調査や視察などを行うことで専門の知識を会得し、さまざまな企業や法人に関わることも増えてきました。

権田 いろいろな事業や企画に関わっていたのですが、その中の一つに若竹会がありました。なかなか収益が出なかったため、創始者である前理事長から依頼を受け、私が理事長として経営の立て直しと運営をすることになりました。その頃には障害福祉や施設に関する知識もついていたので、なぜ収益を出せないのかという原因もわかっていました。

−− と、いいますと?

権田 ここは、そもそも法人は「誰のためにやるものなのか」という認識が違っていたんです。自分のためにやるのと他人(ひと)のためにやるのとでは、取り組み方が本質的に違いますよね。前理事長は障害者であるご自身のお子さんのために若竹会を立ち上げられたんです。自分のためなので、どうしても感情が入って自分の子どもを優先させてしまう。事実、その方針に納得できずに法人を去る職員もいました。組織としてもその考え方では機能できません。そこで私は、過去のしがらみや慣例にとらわれない新しい執行部をつくり、その全員に「障害の世界では、入る動機は自分のためでもいいけど、多くの人が関わる仕組みにするならば他人のために動き、大勢の人が幸せになる方法を考えないといけないよ」と伝えたんです。「ひとりの幸せはみんなの幸せ、みんなの幸せはひとりの幸せ」という考え方で、職員の配置などをすべて見直していきました。

−− 具体的にはどのような形を取られたのですか。

権田 いろんなやり方がありますが、若竹会では、利用者さん身体状況やニーズにより生産活動が可能な方にはお仕事をしてもらい、難しい方には生活の充実感が感じられることを軸としています。お仕事は工賃になるので達成感や充実感が目にみえやすいのですが、一方で「何が生活の充実となるのか」という話になりますね。そこで『みんなが毎日朝に起きてからする日常の作業があるよね。朝は食事をするし、身の回りを片付けたり、趣味や会話をしたりする。そんな“当たり前のことを当たり前にできる”生活習慣を身につけてもらおうよ』と話したんです。生活にある程度のルーティンができると支援する職員も流れが見えて楽になるし人員削減にもなるから、それをチームできちんと進めようと。

−− その方法を取られて以降、利用者さんや職員さんに何かの変化は見られましたか?

障害のある子どもたちのイラスト

権田 まず驚いたのが、利用者さんが活き活きしていくんですよ。毎日が楽しくなるみたいで、ご両親からもいつも楽しく通っていますと仰ってくださる方が増えました。だんだん口コミで利用者さんが増えて収益が増え、運営も安定するようになりました。その一方で、利用希望していただいても定員の関係で利用できない方が増えてきたので、また施設を増やして……と一歩ずつ階段を上ってきた気がします。

職員には、利用者さんが毎日当たり前のことが当たり前にできているか。そこをきちんと見て行動するよう教育してきました。職員は最初、障害を持つ人をかわいそうだと思っています。それは親御さんもそうです。でもかわいそうという認識があると、彼らが本当はできることやしたいことがあるのに、それまでもしてあげてしまう。

−− 確かにそうなりがちですね。

権田 でも、障害をもつ人にも生きがいはあります。自分自身の力でこれができた、達成できた。それが大きな自信になるんです。障害と一口に言いますが、めがねをかけている人をかわいそうだとは思いませんよね。目のいい人よりは少し不便かな、というくらいでしょう。障害って本来はそういうことなんです。かわいそうじゃなくて不便。その人のできない部分、苦手な部分に少しお手伝いをさせていただくだけで、その人は充実した生活がきちんできます。そうすると充実感が生まれ、職員にも自信がついてきます。

■「損得ではなく善悪で動く」ことが職員も成長させる

ワークステーション、学院を問わず「気持ちが明るくなるせいか、利用者さんも外に出たがるようになるんですよ」と権田さんは笑顔で語ります。引っ込み事案だった人々が、できることを増やすことで徐々に積極的になっていく。自信が人の性格を変えるという効果は本当にあるようです。

やるべきことに気づくスタッフのイラスト

権田 それで、みんなに何がしたいか聞いたら、車椅子の利用者さんが海を見たいと言ったんです。職員にそう伝えたら、バスで敦賀にでも行きましょうかと。いやいや、海が見たいってことには「水に触りたい」という思いもあるよね、海の水を触りたいし、触ったら入りたいって思うのが僕らの普通の感情だよね、と伝えました。職員は、言葉の奥にある感情にまで入り込んで考えられないといけません。最終的に話はふくらみにふくらんで沖縄の最高にきれいな海に行こう、と決まったのです。車椅子の女の子たちは親御さんに初めて「水着を買いに行きたい」と頼むでしょう。車椅子で泳げない子が水着を欲しいなんて言ったら親御さんはきっと喜ぶはず。そういうことまで想像できる力が職員には大事なんです。現地では親御さんに向けて、楽しそうな様子のリアルタイム配信もしました。

−− みなさん、すばらしい体験ができたのですね。

権田 そうですね。家族だけではできない経験をしてもらいたくて、車椅子を降りて水に浮かんだり、バーベキューをしたりもしました。利用者さんの達成感は、同時に職員の達成感にもなります。職員も楽しいからはしゃぎますが、裏では必ず冷静さを持っていなさい、海に入る時は必ず3分おきに利用者が全員いるか数えなさい、と強く伝えていました。遊びながらもセキュリティ役であることと忘れないようにと。職員はいつでも「誰を一番大切にすべきか」という気持ちを持っていなければならないんです。
それだけに、大変は大変なイベントでしたが、お迎えの時にはその成長ぶりに泣いておられる親御さんもいらっしゃいました。利用者さんと同じくらい職員も楽しく過ごせて充実感を得られた、いい経験だったと思います。

−− 翌年には別行程の旅行をされたそうですが。

権田 そうです。翌年には別のチームが草津から在来線と新幹線を乗り継いでディズニーランドに行きました。それが普通ですからね。でもこの時は、特に職員が勉強させてもらった旅行だったと今も思います。職員もやっぱり、その現場その時々の対応で迷うんですよね。みんな慣れていないでしょ、楽しいけど見慣れぬ風景でやっぱり緊張しちゃう。それで1人がトイレに行くと全員がついていくので、疲れて足が痛い人や休みたい人、逆に遊びたい人とだんだん別れてきます。なのに、職員は最初に決めた3つの班から変えようとしないんです。それでお昼休憩の時に、班長同士で話し合って、疲れている人、よくトイレに行く人、遊びたい元気な人の数を把握し、班を編成し直すよう言いました。それで午後は、遊びたい人は遊ばせ、疲れた人は買い物に行き、よくトイレに行く人はトイレ近くで買い物をする工程に変更しました。

職員は基本的に、行く前に話して決めたことをその場で変更するのが苦手です。でも、災害があったらどうするの、と思いません? 避難訓練はしていてもその時々で状況は変わるし、一瞬の判断が命の分かれ目になることもある。自分でしっかり周りを見て判断し、この人たちを安全に守れるようつねに観察しなさい。これは、楽しませる時と同じことだよと言いました。この日は結局、疲れた班には職員を減らし、遊びたい若い班には多めに職員をつけて、その場で場所と環境に沿った役割へと変えた分、とにかく職員の経験値になったと思います。沖縄の10倍はしんどかったけど、みんなにも自信がついたねと。そしたら次は「雪を見に行きたい」、「雪をさわりたい」、「滑ってみたい」ともう希望がたくさんあって大変です(笑)。

−− 利用者さんのやりたいことへの想像がどんどん膨らんでいる感じがしますね。

権田 そういうことなんです。こういう仕事は、始める前からそうだし今でもそうなんですが、損得で考えていたら絶対できません。僕はみんなには必ず、仕事の上でするべき行動は「損得でなく善悪で決めなさい」と言っています。正しいことをやり、正しくないことはしないのがモットーです。それさえ守っていれば、他は後から勝手についてきます。そしたらみんなで分ければいいだけのことです。この考え方は、福祉制度や施設の内側にある志と同じくらい大事な芯だと思っています。

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インタビュー(1)では、権田さんが現在の仕事に関わることになった経緯と、今の若竹会の方針や利用者さんと職員さんたちの関わり方について伺いました。次回は、障害福祉に関わる未来を示していたかのような権田さんの思い出から今後の計画、そして障害福祉の世界に関わりたいと考えるみなさんに向けたアドバイスなどを中心にお送りします。

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